どもりを持った僕の友人はみんな積極的だった
どもりが吃音症という名前だと知ったのは大人になってから。そもそも、どもりの人は周りにいたけど、それほど気にならなかったというのが本音だったかもしれない。普通に仲良くしている友人にもいたし、それを何か言う友達って言うのもいなかった。けど、それは自分の周りが恵まれている環境なだけなのかもしれない。
高校のときにどもりを持っていた友人は、小学校のときにどもりを持っていた友人と同じで積極的で、グループの中心的存在だった。だから、吃音症で卑屈になったり自信を失っている人がいるという感覚は僕の中ではなかった。もちろん、その友人も心の中で何かを思っていたのかもしれないけど、だからと言ってそれで消極的になるタイプではなかった。
色々な性格の人がいるから、僕が出会ってきた吃音症の人は、どもりがあっても堂々としていた(周りをあまりきにしない性格な)だけで、元々おとなしい人や周りに気遣いをできる優しい人なんかは、どうしてもどもりで前に一歩進めなくなってしまう場合もあるのかもしれない。そういうことを考えて、僕も気を遣って生きなくてはいけないんだと改めて痛感した。
それでも、どもりが良くならないからと後ろ向きにならず、少しずつ良くなるような努力をしていくことは大切なんだと思う。今はネット社会がすごく便利になったから、そういうものを利用してみるのもすごく良いことかな、って思う。